息子が3歳となりました
毎年この日が来ると
貴重な0歳がおわり
貴重な1歳がおわり
貴重な2歳がおわり
そして
新たな未来に進むんだと
しみじみと
思ってしまいます
私は
バリバリの高齢出産
1人目は妊娠7ヶ月で死産
その後の
妊活の苦しみも味わいました
だからこそ2人目の息子を
妊娠した時の奇跡
出産した時の奇跡は
忘れられず感動的
(死産ママは経産婦扱い。
だからこその
嬉しい陣痛と嬉しい痛さ!)
高齢出産は
孫のように可愛いという意味が
心底わかるからこそ
その息子の体は
あまりに小さすぎて
息子が目を閉じれば
生きてるのか
生存確認ばかりしていた私
産後はほとんど
寝てませんでした
1か月検診では小児科医さんも
ドン引きしたほどの
おっぱい数値管理表を
作成し提出。
何せ3週間早く出てきた
体重2623gの男の子。
おっぱい飲むのが
上手じゃなくて
成長曲線を
下回らないことだけを考え
あるゆる試行錯誤で
毎日暮らしてきた
という記憶。
センスだけでやっていいのか?
子育てをと。
もっともっと
成長サポートできるように勉強して
息子と遊びたいけど
でも、体力が続かなく
疲れちゃってできない。
子育て資格に出会うまで
つきまとっていました。
◆実は取り組んでいたのは0歳2ヶ月から?!
そんなモヤモヤが私の
記憶に誤作動をおこしていました。
おっぱい問題で
手一杯だった記憶が定着し
おっぱい以外は
何もしてあげて
なかった記憶。
でも
写真をみると
0歳2ヶ月ころから
うつ伏せさせていて
ベビースクールでもおこなう
ズリバイ・ハイハイサポートの
原点か?と
思われることもやっていて
(当時はほふく前進と呼んでたほど
把握反射が刺激されるように
やってた記憶なんてなかったけど
同時期にはやっていて
(手がギュ!としている
把握反射のある時期に
たくさん刺激すると良い!)
数のカウントを
アナウンスしてたり
子供に関する知識を得たからこそ
私がその当時やっていたことの
意味と効果がわかり
結局
自分から不安をうみだし
自分を認めていなかった
ということに
ことに気づきました
今後は
ベビースクールでお仕事しながら
私自身の子育てキャリア教育
メソッドも立ち上げます!
そして
次は3歳11ヶ月の時の息子の姿を想像し
自宅でできる発育のサポートに
また1年いそしみたいと
思っています
最後までお読みいただき